Made in Austria
オーストリア製アディダスは相変わらずユニークで、こんなワールドカップがありました。
アッパーは旧型で、西ドイツ製だとアディスーパーソールのタイプしかないと思います。
シュータン裏はやはり黒色です。
オーストリア製アディダスもけっこう集めた気がしますが、自分の復習を兼ねて並べてみました。
まず、最初に見つけたのは、こちら
西ドイツ製だと、シュータンマークが黒いこのタイプはないと思います。
オーストリア製独特なのかと思いきや…、
青もありました。ぱっと見では西ドイツ製と見分けがつきません。
こちらも一見すると西ドイツ製ワールドチャンピョンに見えます。
ただ、シュータンを折り返すと違いがわかります(こちらをご覧ください)。
西ドイツ製ワールドカップ82にそっくりなモデルもありますが、名前がちがいました。
こちらもシュータンを折り返すと違いがわかります(こちらをご覧ください)。
さすがにこのアッパーにアディスーパーソールがついたモデルはまだ見たことがないですが、もしかしたらあるかもしれません。
(すいません、日本製ブンデスリーガXGはこのアッパーにアディスーパーソールでした。こちらはご参考)
西ドイツ製では存在しなかった、ワールドカップウィナーのアッパーの取替え式(しかも3マテリアルソール)のモデルがこちらです。
モデル名も独特です。
オーストリア製のワールドカップウィナーも存在します。
さて、今回のモデルに一番近いタイプは以前掲載したこちらのモデルです。
Toni Polster選手については少し触れましたが、私がオーストリア代表選手で思い浮かぶのはやはりこちらの方
ブレーメンで奥寺選手とチームメートだったペッツァイ選手(Bruno Pezzey)。
1986年キリンカップの富越さんの写真です。
後列右から3人目がペッツァイ選手で、188センチの長身でしたが、当時のブレーメンにはもっと大きな選手がおられたんですねえ。
ポジションは(今はあまり聞かない)リベロでした。
ブレーメンのユニフォームはプーマですが、当時はスパイクも、ユニフォームと同じメーカー製のものを全員が履く時代でした。
奥寺選手は日本復帰直前で、すでに契約していたためか、アシックスのスパイクを履いています(モデルはこれか?)。
なにげにペッツァイ選手の足元を見てみると、スパイクおたくの琴線に触れてしまいました。
「プーマではなさそう…。」
というわけで、調べてみると、
どうどうと3本線のスパイクを履いておられました。知らなかった。
一応、とがめられたのか、気を使ったのかわかりませんが、
ソールはアディダスだけど、プーマのラインのモデルを使ったりもしています。
こちらもそれがよくわかる画像ですが、
うまい具合に工夫されていたようです。
ご存じのように、当時のオーストリア代表も上から下まで全部プーマでした。
ペッツァイ選手も代表では素直にプーマのスパイクを使っておられたようです。
82年W杯、当時17歳のホワイトサイド選手(北アイルランド)とのマッチアップ。
同じく82年W杯の1次リーグ。疑惑の試合と言われた西ドイツ戦で、ルベッシュ選手との競り合い。ルベッシュ選手のスパイクはヨーロッパカップですね。このモデルも西ドイツ製とオーストリア製がありました(ユーゴ製もあります)。
83年の対西ドイツ戦で、ブレーメンのチームメートだったフェラー選手とのマッチアップ。この時はラインが白でソールが(多分)金色のトレロタイプでプレーされていました。
フェラー選手は西ドイツ代表では(当然)アディダスのスパイクでしたが、プーマのご自身のシグネチャーモデルがあります。
知らなかったのですが、アディダスにはペッツァイ選手のシグネチャーモデルがあったようです。
当然、オーストリア製。(ebayの画像です)
ちょっと趣味じゃないかな…。
若くして亡くなられたペッツァイ選手でしたが、今でもとても高い評価をされているオーストリアの偉人です。
あらためてご冥福をお祈りいたします。
(2022年5月21日)