117 adidas WORLD CUP SL

Size UK7 Made in Germany

英雄たちが愛した歴史的スパイクVOL.38『1990年イタリアW杯のアディダススパイク編』

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90年W杯でエトルスコシリーズとともにデビューしたモデルです。

ただ、日本で販売されたかは不明です。

何人かの選手が履いていたと思いますが、なんと言っても、優勝国西ドイツ主将マテウス選手が決勝の後半に右足のみこのモデルを履いていました。

試合開始はワールドカップを履いていましたが、ハーフタイムに片足だけ替えたようです(こちらをご覧下さい)。

どこかにこの事実が書かれていないか調べたところ、こちらに少し当時のことが書かれていました。

ハーフタイムに替えたスパイク(アディダスワールドカップ)があまりしっくりこなかったそうで、決勝のPKを蹴らなかったとか(キッカーはこのスパイクを履いたブレーメ選手)。

右足のスパイク(つまりSLの方)は金色に塗って、バイエルン博物館に展示されているけど、マテウス選手は返却を希望しているらしいとのこと。

ただ、左右違うスパイクとは書いていませんでした。

このホームページのもとの画像はどういうわけか左右逆みたいで、反転させてみたのがこれです。

マークもSL特有のものです。

マテウス選手をはじめ、ほとんどのアディダススパイク使用選手はシュータンを折り返していたので、このマークが写っている画像は結構レアだと思います。

サッカーダイジェスト90年9月号の表紙

マテウス選手のシュータンにご注目。

右足はブレーメ選手と同じSLです。

ブレーメ選手はシュータンは切っていたみたいですね。

リティー選手ヘスラー選手のスパイクも実は珍品です。

(2020年8月8日)

追記

ブレーメ選手のスパイクはその後ゴールドになったらしいです(こちらから引用しました)。

(2020年8月10日)

さらに追記

今回、こちらのコラムを書く際に、あらためて90年W杯のマテウス選手のスパイクについてさらに調べてみました。

前述部分の
「ハーフタイムに替えたスパイク(アディダスワールドカップ)があまりしっくりこなかったそうで、決勝のPKを蹴らなかったとか(キッカーはこのスパイクを履いたブレーメ選手)。

右足のスパイク(つまりSLの方)は金色に塗って、バイエルン博物館に展示されているけど、マテウス選手は返却を希望しているらしいとのこと。」

この部分は大きな誤りであることがわかりました。

まず、ハーフタイムに替えたのではなく、後半35分ぐらいでした。本当にPK獲得の直前だったんですね。

・ディエゴ様が念じて、PKキッカーのマテウス選手が履いていた、以前自分が借りたスパイク(しかも利き足の方)を破壊した…。

・ディエゴ様の思惑では、壊れたスパイクもしくは交換した履きなれないスパイクでマテウス選手はPKを失敗する。

・しかし、マテウス選手はPKを蹴らなかった。

・代わりに蹴ったブレーメ選手が外せば、”ディエゴ様の呪い”は完結したのだが…。

ゴイコチェア選手の読みは完璧だったんですけどねー。西ドイツの執念が勝ったんでしょうね。

正直、当時は試合がつまらなすぎて途中で寝てしまったのですが、こんなドラマがあったとは…。

また、右足のスパイクというのは取り換えたSLではなく、マラドーナ結びの壊れたワールドチャンピョンの方でした。

それにしても、こちらでも触れましたが、マテウス選手は西ドイツ代表戦は82年W杯ごろから使い始めたスパイクを、90年W杯までずっと使い続けていたみたいですね。

素人が年に何回か大事に使うぐらいであれば大丈夫かもしれませんが、西ドイツ代表の中心選手なのに信じられない物持ちのよさです。

マテウス選手はあまり派手なプレーはされない印象ですが、いわゆる「鳥かご」(我々は猿回しと言っていた)で12年間、中に入ったことがないぐらい、ボールを失わない、ミスをしない選手だったそうです。

きっとスパイクも傷まないぐらいの技術の高さなんでしょうね。

もちろん、プーマ契約選手で、代表戦しかアディダスを履かないということも大きかったと思います。

時系列はよくわからないのですが、コラムに載せた、ルムメニゲ選手とのバイエルン本拠地での画像は2012年ごろのものです。

その後、バイエルン博物館に展示されていた時の画像がこれのようです。

確かに説明の通り、つま先側のスタッドのあたりに亀裂が入って壊れているように見えます。

この画像の出どころはこちらのTwitterの投稿です。

2015年ごろの投稿ですが、なんでもバイエルンオールスターにノミネートされなかったので(一人だけプーマのスパイクだったからか?)、返還を求めているとか。

結局、現在はドイツサッカー博物館にあるようです。

ディエゴ様のユニフォームもありますね。これもマテウス選手からの寄贈品でしょうか?

ただ、マテウス選手が還暦を迎えられたころ、再度バイエルン博物館で「マテウス展」が開催され、そちらでも金色ブーツが展示されたようです。

探すと、けっこうな数のこの「金色ブーツ」の画像は見つかるのですが、結び方がよくわかる角度のものがひとつもないのが不思議です。

そこがこのスパイクのおもしろさだと思うのですが…。

(2022年6月9日)


The historical football boots loved by our heroes Vol. 38 “1990 Italy World Cup Adidas football boots”.

Italy 1990, arguably the most boring tournament in the history of the World Cup, was the catalyst for many subsequent football boots developments and the banning of back passes to goalkeepers. However, after all this time, you can find all sorts of interesting facts when you observe football boots.

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It appears that Klinsmann wore a fixed type (left) in the first half and a changeable studs type (right and inset photo below) in the second half. The upper right inset shows a larger version of the same model as Brehme’s (that of Protasov, USSR).

Klinsmann wore his changeable (World Cup) at the end of the game when West Germany scored the final goal (right), which was the only game highlight and the most common scene in this game. I think the other games were changeable type as well.

The final goal was a delicate penalty kick, which Brehme scored with World Cup SL.

By the way, Matthäus was primarily a Puma favorite for his club team, but he wore Adidas football boots for the national team. I thought he probably used the changeable World Cup for every match in this tournament.

However, before the final match and at the moment of the win, the right foot cleats are different . For some reason, it seems that he was wearing the World Cup SL on the right side only.

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Matthäus in the final. Before the game (left) and at the end (middle).
The back of the folded shoe tongue is a different color. Playing on grass, only the right side has never been so black as this.
It looks like only the right foot was changed to a World Cup SL in the middle of the game (right).
The inset photo shows the sole of the right foot cleats.