102 adidas NATIO NOCKEN

Size UK9.5 Made in West Germany

英雄たちが愛した歴史的スパイクVOL.26 「86年W杯の多様なアディダススパイク編」

カール=ハインツ・ルムメニゲ
Karl-Heinz Rummenigge

高校生の頃、初めて聞いた時はかっこいい名前だなーと思いました。
When I first heard it in high school, I thought it was a cool name when I first heard it.

また、実物もかっこいい。
It’s also cool in person.

なんだこの太もも!
What a pair of thighs!

ヨーロッパでは一番好きな選手でした。
He was one of the most favorite players in Europe.

スピードとゲルマン魂の選手でしたが、イメージとは裏腹に(?)固定式スパイクもよく愛用されていました。
He was a player of speed and Germanic spirit, but contrary to his image (?) moulded studs boots were also well-loved.

しかも、ほとんど白一色のアディパンソールです。
And they are almost all white adipan soles.

80年EURO(左)82年W杯(右)
EURO ’80 (left) World Cup ’82 (right)

84年EURO(左)86年W杯(右)
EURO ’84 (left) World Cup ’86 (right)

82年頃までは時期的にワールドカップウィナーをお使いだったと思いますが、84年頃には廃盤だったと思います。
I think he was using the World Cup winner at the time until about ’82, but I think it was discontinued around ’84.

つま先部分の詳細はよくわかりませんが、84年以降はこのモデルを使っていたと思われ、個人的にルムメニゲモデルと思っています。
I’m not sure of the details of the toe part, but I think he used this model after 1984, and I think it is Rummenigge model personally.

86年W杯で多分1回だけコパムンを履いた試合もあったようですが、主にこちらを愛用されていました。
There was probably only one game in 1986 World Cup where he wore Copa mundial, but he mainly used this model.

ただ、この大会ではチームメイトのブレーメ選手、エデル選手、ベルトルト選手も同じようなモデルを履いていました。
However, his teammates Breme, Eder and Bertolt also wore the same kind of shoes at this tournament.

日本でもNATIOというモデルが販売されていましたが、かかとのマークが異なります(後に入手しました)。
The NATIO model was also available even in Japan, but with a different heel symbol.


(ネットからの画像です)
(Image from the internet.)

ただ、復刻版らしきモデルはかかとのマークも同じです。
However, the model that seems to be a reprint version is the same as the heel mark.

(2019年12月5日)

追記
Postscript

Natioご愛用選手の画像を付け加えます。86年W杯の西ドイツ代表選手がほとんどだと思います。
I’d like to add a picture of some of players who wore this model, most of whom I believe were West German players at the 1986 World Cup.


ルムメニゲ選手
Karl-Heinz Rummenigge


ベルトルト選手
Thomas Berthold


ブレーメ選手
Andreas Brehme


エデル選手
Norbert Eder

(2020年9月17日)

追記

私がサッカーを始めた80年代前半に、もっとも活躍を期待していた日本人選手のお一人がこちらの方

83年に渡独された尾崎選手です。まだ海外で活躍されていたのが奥寺選手しかおられなかった時代に、日本のエースが奥寺選手と同じブンデスリーガ(当時世界最高峰)でどんな活躍をされるのか楽しみに、当時のサッカー雑誌をながめていました。

最近、もう一度見返したこの画像。
なぜ監督のスパイクがポニーなのかはいいとして、当然、選手はワールドカップ82か、コパムンディアルを履いていたと思っていました。

ただ、尾崎選手のスパイクをよーく見てみると、

このモデルっぽいですね。

ソールは?

アディパンソールでした。

尾崎選手は最初の練習では、日本では発売されなかったこのモデルをチョイスされていたんですね。試合では取替え式が多かったようです。

(2022年9月23日)

最近、getty imageなどルムメニゲ選手の画像が増えて、大変見ごたえがあるのですが、スパイクについてもあらたな発見がいくつかありました。

ルムメニゲ選手がアディパンソールの固定式をよく愛用していたのは前述の通りですが、正直モデルについては不明な点が多いです。

82年のW杯は時期的にワールドカップウィナーかなと思っていたのですが、

つま先はこのモデルのような2枚革で、ウィナーではなかったようです。

しかし、84年EUROは、

アッパーはコパムンディアルのような感じです。
数年後に日本で発売されたコパSL、コパSPのような感じです。
ただ、82年W杯ではブライトナー選手や、ハンジ・ミュラー選手がこのタイプを履いていました。

そして、ルムメニゲ選手の最後の国際大会だった86年W杯では、アディパンソールのこのモデルを履いていましたが、スコットランド戦では珍しくコパムンでした。

私が知る限り、ルムメニゲ選手が国際大会で唯一、コパムンを履いた試合だったと思います。

なぜ、同じ固定式なのに使い分けていたのか…?

不思議です。

(2023年6月14日)