469 Special model for S. Noda

470 0142 Changeable studs

471 0142 normal model

Size 26 cm Made in Japan
こちらで少し紹介した、0142(レッジェーロ)の取替え式(470)がずいぶん前に入手できたので、いつかアップしようと思っていたのですが、のびのびになってしまいました。
それも含めた3種類のレッジェーロシリーズを今回アップしたいと思います。
469はマリノスで活躍された野田選手の特別モデルだと思います。
なぜかと言うと、

ソールに名前が書いてありました。こちらもそのパターンでした。
野田選手のスパイクについては詳しくないですが、Jリーグが始まったころ、平川選手、山田選手とともにパトリックの広告に登場していた記憶がありました。
確かに、Jリーグ開幕当初はパトリックのスパイクを使用されていました。

後にアシックスユーザーになったリティー選手は、まだアディダスのこちらのモデルでした。
野田選手はその後ミズノのスパイクを履いていましたが、

(1996年ミズノ時代)
97年ごろにプーマに変更されたようです。

この試合では固定式だったようです。ベギリスタイン選手はケルメですね。

こちらは(メキシコライト同様の)8本スタッド。

こちらは469のような6本スタッドモデルですが、カラーが違うかもしれません。
ただ、野田選手はシュータンを折り返して履いていることが多く、どれもシュータン裏は黒一色です。一見するとパラメヒコのようです。
レッジェーロの特徴はシュータンを折り返すと、470のような大きなプーママークになりますが、野田選手はそれが好みではなかったのか、

シュータン裏にマークがありません。また、つま先はこちらのパラメヒコのようなエンボス加工がないタイプで、ステッチも多く入っています。
随所にこだわりが見られます。
470はメルカリで見つけたもので、出品者の方が、高校時代のコーチにいただいた勝負スパイクだったと説明していたと記憶しています。
もしかしたらコーチの方は元有名選手だったかもしれません。
レッジェーロは私自身は履いたことはないですが、私と同い年の何人かのスタープレーヤーは現役晩年にこのモデルを愛用していました。
以前も紹介しましたが、

広瀬選手。
長谷川選手。ド派手な色ですが、黒もご愛用でした。
大榎選手もレッジェーロの取替え式を短期間使用してたようです。
広瀬選手、長谷川選手、大榎選手と言えば、高校選手権の帝京対清水東高校(昭和57、58年度)が思い出されます。
他にも堀池選手(清水東)、前田選手、平岡選手(帝京)らが同学年でしたが、当時の私にはそれこそ雲の上の人たちでした。
野球からサッカーに転向したばかりのド素人だったので、サッカーの実力はもちろんのこと、清水東高校は進学校で、3年生は正月の選手権期間中も宿舎では目前の(当時の)共通一次試験の勉強をしている…。
3年生の大学受験間際まで部活している者など周りにまったくいなかった平凡な高校生には信じられませんでした。
選手達ももちろんですが、やはり名将も印象深いです。

個人的に高校サッカーの名将と言えば清水東高校の勝沢監督ですが、5月5日に逝去されました。ご冥福をお祈りいたします。
後の戦績からすれば、こちらにも紹介した小嶺監督(当時は島原商業)の方が上だったかもしれませんが、昭和50年代後半の清水東高校は本当に圧倒的な存在でした(特に公立高校としては)。
また、奇遇ですが同じ日には当時の世界の名将も亡くなられました。

プーマ高級スパイクの象徴(?)でもあったメノッティ監督。
下手したら当時からペレさんのモデルよりも高額で、今では入手困難かも…。
享年は勝沢さんと同じ85歳…。
なんだか運命的なものを感じます。
こういう内容は、これまでならWEBコラムでも紹介して、昭和のサッカーの名将のことを広く知ってもらいたいところですが、それができなくなってしまったのは残念です。
若い人たちが、若い感性で、新しい情報を次々アップしていかないといけない世の中なのでしょうね。
さて、471はノーマルのレッジェーロですが、以前のものはソールが劣化していたので、もう少しまともな状態のものをあらためて入手してしまいました。
ということで、以前のものは、いつもお世話になっているアモールさんに普段履きにしていただきました。

レッジェーロって実際に履いたことがなかったのですが、未使用状態でもアッパーが極めてソフトで、外反母趾(右足のみ)に苦しむ私にもとてもやさしい履き心地です。
でっかいプーママークが少々気恥ずかしいですが、なかなかのお気に入りシューズとなっております。
(2024年5月14日)