380 YASUDA Ligaresta Pro

Size 26.5cm Made in China

2018年に復活したヤスダさんですが、最近は愛用するプロ選手も増えて勢いは増すばかりのようです。

そして登場した青に黄色ラインのカラー、いわゆる「帝京モデル」ですが、クラファン時に続き(黒白金色)、購入してしまいました。

私の目的はずばり

並べての鑑賞です。

85年発売のWX-76は市販の製品だったので、帝京高校の選手用ではありませんが、市販品では一番雰囲気が似ているモデルだと思います。



この機会にヒモも通そうかと思いましたが、面倒になってまだやっていません。

さて、このカラースパイクの登場の歴史について調べてみました。

ヤスダラインになったのは79年ごろですが、当時の帝京高校は選手権の東京代表の常連(ほぼ毎年出場)で、3回目の優勝を果たした79年度大会(58回)ではすでに、

かなりの選手が青に黄色ラインのモデルを使っていました(富越さんの写真です)。ただ、抱き合っている川添選手と名取選手は黒のペラーダを履いていました(参考サイト)。

ヤスダの青モデルの印象が強いですが、80年度(59回)大会では、

青のペラーダの選手(辻谷選手)もおられました(復刻版登場)。

昔の高校選手権の特集号はベスト4からの試合か、優秀選手しかカラー頁に載っていないため、帝京高校が上位に進出しなかった大会は今となっては使用スパイクを調べるのが困難です。
81年度(60回)大会では準々決勝で敗れた帝京でしたが、得点王はこの方でした。


82年度(61回)大会の谷中選手(手前)。たぶん前回大会では黒のヤスダだったと思います。後方は矢藤選手。

この大会で帝京高校は、優勝した清水東高校に準決勝で敗れましたが、次の年、83年度(62回)大会で満員札止めの決勝戦でリベンジしました。

決勝点を決めた前田選手は黒のアシックスでしたが、多くの選手が青に黄色ラインのヤスダでした。

連続優勝した84年度(63回)大会でも

多くの選手が青、黄色ラインモデルでした。また、この年からユニフォームのみならず、スパイクのシュータンにも、これまで全国優勝した回数を表す星が入ったようです。

ただ、選手によっては大会通してこのモデルを使っていたわけではなく、キャプテンの岩井選手は

国立での試合になって青、黄色モデルを履き始めたようでした。

この大会では決勝で島原商業と引き分け、両校優勝でしたが、

島原商業はゼブラ柄のユニフォームだったので、以前から白に黒ラインのヤスダを履く選手がおられました。この画像は82年度(61回)大会で、対戦相手の習志野高校はやはりユニフォームに合わせた赤に白ラインのモデルでした。

島原商業といえば、もともと名将・小嶺監督が強豪に育て上げたのですが、初優勝する前に転勤され、その後は転勤先の国見高校が長きに渡り強豪校となりました。
転勤後すぐのインターハイでは、はやくも初優勝しました。

昭和60年インターハイ決勝、対中京高校。中京の赤いプーマもなかなかかっこいいです(モデルはおそらくジャスパー)。

帝京高校の影響かはわかりませんが、上記の国見高校のように、ヤスダのカラースパイクは徐々に全国に広がっていき、帝京が上位に進めなかった85年度(64回)大会では

秋田商業(準決勝・四日市中央工業戦)は赤に白ラインのヤスダでした。

さて、国見高校はもちろん選手権でも徐々に上位に進出するようになりました。
86年度(65回)大会では決勝進出しました。

東海大一のサントス選手のこの有名なバナナFKで敗退してしまいましたが、この時は両校のほとんどの選手のスパイクは、当時市販され始めたパラメヒコだったようです(参考サイト)。

静岡代表の高校はもともと昔からカラースパイクを履く文化がなかったようで、この大会ぐらいからだんだんカラースパイクの露出が減ってきた感じです。しかし、

なかなかユニークなヤスダのカラーモデルを履くチーム(中津工業)もあったようです。

さて、国見高校は次の年に見事にリベンジしました(88年度、66回大会)。

白黒で申し訳ないのですが、左下の国見高校の選手は白に黒ランバードラインのミズノのスパイクを履いています。だんだんミズノのスパイクも浸透し始めたころだったと思います。

後に同じ大学で活躍し、日本代表にもなる澤登選手(東海一)や磯貝選手(帝京)も優秀選手に選ばれたころの大会でした。
磯貝選手は1年生から選手権に出場されていましたが、一貫して黒のスパイクだった気がします。残念ながら国立でプレーされなかったので、もし国立に登場していたら、どういうスパイクを使っていたのでしょうか?

市立船橋高校もだんだん千葉代表の常連になり始めたころだったと思いますが、右上の選手はおそらくペラーダのカラースパイクを使っていたようです。

この大会ぐらいから、帝京高校も全国ではなかなか優勝できなくなるほど、全国の他校のレベルが伯仲し、優勝校も様々変化するようになりました。

スパイクも黒に白ラインのモデルの選手がほとんどで、カラースパイクはだんだん使われなくなった気がします。

ただ、我々世代には80年代前半のこのカラーのスパイクのインパクトはとても強烈でした。

(2021年7月31日)

追記

高校生でこのモデルを履く選手がいるそうです。

こちらの動画から

今やJリーガー養成校とも言える熊本の名門高校の選手。
なぜこのスパイクを選んだかを聞かれると…。

やっぱりと言えばやっぱりなんですが、大津の監督と言えばあの帝京のキャプテン。

監督(平岡さん)の影響じゃないんかい…。

と一人でつっこんでしまいました。

(2021年10月7日)