399 adidas WORLD CUP (Yugoslavia)

Size UK10 Made in Yugoslavia

一見、「Adi」に見えますが、「WORLD CUP」でした。

Adiのシュータンパターンが多いのは知っていましたが、WORLD CUPでこのタイプのシュータンは初めて見ました。オランダのカタログに載っていたモデルとも違うパターンです。

ユーゴスラビア製のWORLD CUPも初めて見たと思います。

それにしても、昔憧れだったためか、このソール(アディ・スーパーソール)のモデルはたくさん集めたなあ…。

こちらでも紹介しましたが、このソールをこよなく愛したのが西ドイツ(ドイツでも)代表・ベルトルト選手です。

94年W杯

80年代半ばでも、このソールのモデル愛用者はほとんどおられませんでした。

ブンデスリーガ96/97シーズン

かなりハイカラなプレデターシリーズを履く選手がいる中、まだアディスーパーソールモデルを愛用しているベルトルト選手(4番)。
しかも、3本線もソールまで伸びている旧型タイプです。

この時代では、ブルガリアの名選手・バラコフ選手(10番)のコパムンのような、3本線が主流だったと思います。

そして、現役晩年(99/00シーズン)までこのモデルを愛用されました。
対戦相手の選手は、現行版のWORLD CUPだと思います。ちなみに愛用していた固定式もユニークでした。

さて、このモデルを紹介すると、70年代後半から80年代前半に、往年の名プレーヤーの方が、最後の大会のために奮発して買ったという、当時の思い出を語られることが多いです。

最後の大会は高校選手権の場合が多いのですが、そのころからこの監督が必ず高校選手権のベンチにおられました。

66回大会(87年度)国見高校初優勝の時。
私の世代だと国見高校というより島原商業のイメージが強い気がします。

63回大会(84年度)に手塩にかけて指導された島原商業の初優勝時には、国見に異動されて監督ではありませんでしたが、その2年後には国見でインターハイ制覇されました。

すごい指導者って、どの高校でもあっというまに強くさせることができるんだなあと、当時思いました。

またあらたな高校を選手権に導き、大会期間中にこの世を去るなんて…。

ご冥福をお祈り申し上げます。

(2022年1月8日)