433 PUMA PARA MEXICO (18)

Size 25.5cm Made in Japan

こちらのコラムで少し紹介した25本スタッドのパラメヒコです。

金久保選手のスパイク同様、昨今よく見られるショートシュータン仕様です。一緒についてきたシューキーパーはこちらのブログの画像のものと同じでした。
本当にこれは金久保選手用のスパイクだったかもしれません。

ただ、このソールのパラメヒコで印象深いのはこちらの選手だと、前から勝手に思っていました。


ジュビロの福西選手です。これは2000年7月の試合です。

ちょっとロングシュータンも付けてみました。

やはりこちらの方が私にはしっくりきます。

ただ、8月の試合では…、


こちらで紹介した30本スタッドモデルを履いていました。

なんとマニアックな…。

福西選手は95年にジュビロに入団されました。

懐かしい顔ぶれです。名波選手も藤田選手同様、コパムンを履いていました。

福西選手はこの時からパラメヒコだったようですが、

入団当初はノーマルソールでした。

そして、翌年(96年)はなんと、


中山選手と同じ赤スタッドのデュエを愛用されていました。チームメートにもデュエを使っている選手がおられました(もうお一方おられました)。
中山選手専用ソールと思っていましたが、大きな勘違いでした。

もちろん、取替え式のメキシコライトでプレーされた試合もあったようです(96年)。

その後も福西選手はずっとプーマのスパイクを愛用していたと思っていましたが、97年は、

ナイキに変更されました。

ただ、98年のはじめには黒塗りモデル(おそらくナイキ)になり、

98年シーズン途中から再びプーマに変更されたようです。
その時のモデルは、

こちらで紹介したソールのパラメヒコでした(ソールのカラーは違うようです)。服部選手、高原選手も履いていたモデルです。

99年シーズンは、


こちらで紹介したソールのパラメヒコでした。

そして、その後今回のモデルのような25本(もしくは30本)スタッドのソールのスパイクを長年愛用されたようですが、パラメヒコのアッパーは2000年ぐらいまでで、それ以降は違うモデルにされたようです。

さて、ジュビロはもともとプーマのスパイク比率が高いチームだと思っていましたが、J1に参入された94年は、

藤田選手もパラメヒコを履いており、プーマ以外は勝矢選手のみだったようですが、シュータンマークのメーカー名(ミズノ)は黒く塗られていました。

あらためてJリーグ開幕当時のパラメヒコの使用率の高さに驚くばかりです。

それから約30年が経ち、2023年のJリーグで(おそらく)ただお一人の黒白パラメヒコユーザーの黒木選手(熊本)は今年も開幕戦スタメンでプレーされました。
今シーズンもご活躍を期待しております。

(2023年2月27日)