Size UK9 Made in West Germany
まず少しだけ宣伝をさせてください。
アマゾンからペーパーバックが発売されました(表紙、裏表紙)。
左下が原著(絶版)で、右が日本語版、左上が英語版です。
作成の仕方がよくわからず、日本語版がかなりでかくなってしまいました。
ただ、オールカラーで字も図も大きくなって見やすくなっています。
ちょっと高いですが、ご興味のございます方はぜひお求めください。
情報拡散も大歓迎です。
よろしくお願いいたします。
ここから今回のスパイクについてです。
以前、セラミックスタッドのモデルはこちらで紹介したことがあります。
日本では2種類販売されていたようで、以前入手したのは日本製で、こちらは西ドイツ製です。
日本での広告はこちらです。
このモデルは横に「adidas」の表記があるので、グレードの高い方(セラミックトップ)かなとも思うのですが、つま先はグレードの低い方と同じですね。
セラミックトップの生産国がどこだったのかもいまだに不明です。
同時期に発売されていたセラミックトップのアッパーのデザインに似た、ソールの違うモデル(3マテリアルソール)はこちらです。
あらためてよく見たら、つま先は違いますね。何回かお知り合いに購入をすすめられたのですが、特に魅力を感じずスルーしました。ちなみにこれはフランス製だそうです。シュータンマークのトレフォイルが白で、文字が赤なのは珍しいかもしれません。
そういえば、何も書くことがなかったモデル名不明のこちらのアッパーはつま先部分がセラミックトップに似ていました。
さて、セラミックスタッドは80年代後半のモデルなのですが、履いていた有名選手はあまりいなかったと思います。
こちらで、帝京高校時代の磯貝選手がたまたま履いていた画像を載せました。
コラムを書くために、高校選手権87、88年度大会のことをかなり詳しく調べまして、セラミックモデルを使っていた選手をお一人発見しました。
現在はお医者さんの暁星高校の村上選手がお使いでした。
チームメートだった大倉選手は今話題のいわきFCの代表です。
コラムでも書きましたが、この2大会の決勝はどちらも国見対東海大一でした。
ですが、選手たちのスパイクはそれぞれかなり変化があったので、(マニアックすぎて)コラムに書けなかったことをこちらで紹介したいと思います。
87年大会決勝
東海大一はサントス選手などがアシックスのUTシリーズや奥寺選手モデル(市販品)を履いていたと思います。その中で、澤登選手はアッパーはパラメヒコっぽい取替え式モデルを使っていました。国見は多くの選手がノーマルのパラメヒコだったようです。
澤登選手のスパイクですが、
ソールはメキシコライトではなく、トレロのようなDUOフレキシブルソールです。少し時代が進んだ90年ごろにはこんなモデルもありましたが、この当時では日本リーグでさえもだれも履いていなかったと思います。
高校生なのにすごいですね。
(少し前の江尻選手(清商)のモデルもいまだにナゾです。)
翌年は
東海大一はこちらのアシックスの特注モデルをほとんどの選手が使っていました。国見の選手はミズノやアシックスなど国産メーカーのスパイクを履く選手が増えたようです。
それにしても…
スパイクおたくになったおかげで、
ロシアからもスパイクを買ったことがあります。
ウクライナからスパイクのことを聞かれたこともあります。
なんでこんな状況になっているのか…。
スペイン風邪とか、ナチスとか、生まれる前のことで、死ぬまで縁がないことだと思っていましたが、一気に現実のものとなってしまいました。
本当に、コロナも戦争も一刻も早くおさまることを願ってやみません。
(2022年3月5日)