
パラメヒコのコラムの後ということで、元日本代表の駒野選手のパラメヒコの紹介です。
インスタでは梁 勇基選手のパラメヒコをアップしましたが、そちらはいずれ紹介いたします。
パラメヒコもいくつか収集しましたが、基本的に市販品にはない特徴を持つモデルに興味があります。
そのため、プロ選手のこだわりが加わった特別モデルも運よくいくつか手に入り、そのうちの一つです(右足のみ)。
アッパーは「KOMA」のネームが入っている以外は市販品と同じ感じですが、ソールは、

8本スタッドの取替え式で、市販品では見ないタイプでした。
こちらは同等品の黒に白ラインモデルになります。
駒野選手はプロデビューから(たぶんユース時代も)スパイクはずっとプーマで、パラメヒコもご使用だったことは存じておりましたが、このモデルがいつぐらいのモノか知りたく調べてみました。
デビュー2年目(2001年)にはノーマルのパラメヒコやメキシコライトを履いておられたようです。

その後は、

デルムンドシリーズだったようです(画像は2004年)。
さらにその後、W杯初出場の2006年ドイツ大会ぐらいまでは、当時のプーマの最新モデルを使用されていたようです。

モデル名は…。すいません、わかりません。
再びパラメヒコにされたのはおそらく2007年ごろで、

戻されたころは黒に白ラインだったようです。同じ色でもルーカス選手のモデルとはかなり違いますね。
その後、様々なカラーのパラメヒコをお使いでしたが、基本的に白のアッパーが多かったようです。
2008年にはこんなカラーのパラメヒコの時もありました。
アッパーのKOMAの刺繍の位置が今回のモデルと同じです。
ただ、同じ年の画像で、

パラメヒコですが、KOMAの位置が変わりました。
頻度的には当然固定式の方が多いですが、たまに取替え式の時もあったようです(こちらも2008年)。

ソールはメキシコライトではなく、今回のモデルと同じタイプですね。ただ、KOMAの位置は違います。
おそらく、今回のパラメヒコは「KOMA」の位置が真ん中あたりにあった2008年前半までのモデルと考えられます。
さて、栄えあるWC戦士でパラメヒコを本大会で使用した日本代表選手は、(知る限りでは)98年大会の中山選手、02年大会の服部選手と、

06年では中澤選手がパラメヒコでした。
駒野選手も2010年大会でパラメヒコを履いて活躍されました。

エトー選手のプーマのスパイクとはかなり違いますね。
カメルーン戦では固定式でしたが、

オランダ戦は今回のモデルのような取替え式でした。松井選手もプーマですが、やはり全然違うモデルです。
予選ラウンド突破を決めたデンマーク戦も、

取替え式でした。この大会の中澤選手のスパイクはパラメヒコではなく、

このモデルでした。貴重なスパイクのアップ画像があったのですが、どんなモデルかはさっぱりわかりません。パラメヒコからずいぶん変わりましたね。
前回のコラムは、パラメヒコがデビューした記念日(1985年10月26日)ということで急遽アップしました。
この日は86年メキシコW杯アジア最終予選の日韓戦だったことはご存じの方も多いと思います。
ちなみに、87年10月26日はソウル五輪予選で、あと一歩で20年ぶりの五輪を逃した日でした。
93年10月28日はドーハの悲劇の日で、この時も多くの選手がパラメヒコで奮闘しましたが、W杯初出場の夢は叶いませんでした。
いにしえのサッカー日本代表ファンにとって、10月の末は嫌な記憶がよみがえる時期でした。
PK職人の域だった駒野選手が外してしまったのは悲劇でしたが、W杯本戦のベスト16の戦いですからね。
昔からしたら、そんな試合でPKを蹴っている日本選手なんて夢のようなことです。
おそらくあれがW杯最後のパラメヒコの雄姿だったと思いますが、なんとなくパラメヒコには悲劇が似合うのかな…。
などと思ったしだいです。
W杯後の駒野選手はパラメヒコライトを使用されるようになり、プーマのCMにも起用されました。

(2024年10月29日)