449, 450 PUMA PARA MEXICO Special models

本日10月26日は「パラメヒコの日」ということで、今年もユニーク(?)なパラメヒコを紹介します(昨年はこちら)。

池田選手モデルはすでにこちらのコラムで紹介しましたがブログではまだでしたので、あらためてアップさせていただきます。

まずはどなたかの特注らしきこちらのモデル。


メキシコライトの取替え式ソールですが、かかとのモデル表記は「MEXICO LITE」ではなく「PARA MEXICO」です。

つま先のステッチが多く入っています。

一見すると、こちらの中山選手モデルと同じかと思いましたが、

ちょっと違っていました。

「10」の刺繍も入っているので、パラメヒコを履いていた背番号10のJリーガーを調べてみましたが、

浦和のポンテ選手(2005年)。確かに黒に白ラインのパラメヒコを履いていたことはあったようですが、取替え式を使っていたかはわかりませんでした。

結局いまだにどなたのモデルかは不明です。
(貴重なポンテ選手のスパイク情報がこちらにありました。ミックスソールのようです)

同じような仕様のこちらは、

元清水エスパルスの池田昇平選手実使用スパイクです。
こちらもつま先のステッチが多く入っています。

かかとのモデル表記も「PARA MEXICO」です。ヒール部分には手書きで「3」と書かれています。

池田選手のことはあまり存じ上げなかったのですが、かなりパラメヒコ愛が強かった選手だったようです。
DFだったので、取替え式のこのソールのスパイクでプレーされることが多く、頭角を現しだした2002年ごろ、


このころは背番号19でした。市川選手は以前紹介したクレセールです。

池田選手も短期間クレセールを使っていたようです。

しかし、2003年はまたこのモデルを使っていました。

静岡ダービーでの中山選手とのマッチアップ。パラメヒコ対決とも言えるかな…。中山選手はもちろんパラメヒコデュエです。池田選手の背番号が3なので、今回ご紹介しているモデルはこのころのものだと思われます。

中山選手の影響か(?)、池田選手も2003年に、

赤ポイントのデュエを使っていました。ポイントが高いのが好みだったのかもしれません。磐田以外の選手でこのモデルを履いた選手は珍しいかも…。

また、池田選手はアテネ五輪予選でも活躍されました。

この時のパラメヒコのソールは不明で、わかればまたアップしたいと思います。

池田選手は2005年に広島へ移籍されました。こちらでも、

デュエを愛用されていました。この時期でデュエ愛用選手は中山選手以外ではかなり珍しいと思われます。

その後、2007年から2010年まで千葉でプレーされました。

2009年対磐田戦。この時も取替え式パラメヒコです。そういえばマッチアップしているイ・グノ選手が今年で現役引退されるそうです。

その後、池田選手は愛媛、岐阜でプレーされ2012年シーズンで引退されました。
そのころの愛用スパイクは詳しくはわかりませんでしたが、パラメヒコもしくはパラメヒコライトだったようです。

現在、市原のU-15監督をされている池田さん(選手)ですが、やはりプーマ愛は健在のようです。

さすがにパラメヒコ復刻版ではないですが、黒に白ライン(現行のキングでしょうか?)のトレシューをご愛用でした。

ところで、池田監督はヒュンメルのジャージですが、市原のヤングプレーヤーはKappaのユニフォームです。
ユニフォーム事情には疎いですが、市原のユニフォームサプライヤーは2007年から21年までKappaだったのですね(現在はhummel)。

Kappaは90年代のACミランのイメージしかなかったのですが、ずいぶん長い間、Jリーグチームも使っていたことをあらためて知りました。

今年はパラメヒコのスパイクもトレシューも復刻しました。
賛否両論あるようですが、これからも存続を熱望いたします。

(2023年10月26日)

そういえば、Kappaのユニフォームを持っていたのをすっかり忘れていました。
こちらで紹介していました。

札幌も2006年~20年までの長きに渡ってKappaのユニフォームでした。

(2023年10月27日)