425 Onitsuka (asics) CHAPE 76

Size 25.5cm Made in Japan

下のような1978年ごろの広告に載っていますが、たぶんモントリオール五輪のころにデビューしたモデルだと思います。

こちらで紹介したモデル(カーフ革)と同時期で、アシックスのかなり初期のカンガルー革モデルなので入手してしまいました。

フラッシュ甲なる、ナゾのアッパーの高額モデルがありますが、おそらくこのモデルもハイレベルな選手用だったと思います。

このころはまだサッカーをしていなかったので、どなたが履いていたかは定かではありません。

この年代の手持ちのサッカー雑誌も多くなく、雑誌中の画像も限られているのですが、困ったときはやはりこの方の貴重なアーカイブです。

一時期、富越先生のSNSに往年の国内の名選手の画像が連続でアップされていました。その中で、オニツカのスパイクが写っているこちらの画像、
1976年 高林選手 アディダスのユニフォームの時の日本代表戦ですが、スパイクはオニツカなのは珍しかったかもしれません。ボールも国際試合らしくadidasのChileですね。

さらに古い画像も、

1972年 平沢選手 日立といえばアシックス(オニツカ)のイメージなのですが、このころはタチカラのスパイクも使われていたんですね。

オニツカのスパイクユーザーをもうお一人、

72年 岡村選手 このころだと、こちらのモデルかもしれません。

岡村さんといえば、

森ジャパン(このころはこんな言い方されませんでしたが…)の時のコーチでしたが、森さんのみならず、岡村さんも亡くなられていたのですね。

あらためてご冥福をお祈りいたします。

さて、このスパイクに話を戻しますと、なんといっても「カンガルー革」製で、このころのスパイクにはこんなタグが付けられています。

突き上げ防止機能のスタッドの説明も詳細です。

私がスポーツシューズに目覚めたのは小学校高学年ぐらいだったと思います。

そのころは野球少年で、世界の盗塁王・福本選手が履いているスパイクはカンガルー革製ということを知りました。その時から、「カンガルー革」へのあこがれが芽生えたと思います。

中学の野球部で初めてスパイクというものを履くことができましたが、当然、廉価版モデルで、野球部時代にカンガルー革製のシューズには縁がありませんでした。

高校の途中からサッカー部に入りましたが、初めてカンガルー革製のスパイクを履いたのは大学時代に1万円前後で買えたヤスダのモデルだったと思います。

ただ、当時スポーツ用品店でしかさわったことがなかった2万円超の西ドイツ製モデルや国産高級品のカンガルー革と比べると、なんとなくテカテカしているだけのような気もしました。

今では、カンガルー革製のモデルをいくつ持っているのかわからないぐらいですが、今でも小学生のあこがれはそのままな気がします。

一番最初にあこがれたカンガルー革のシューズは野球スパイクでしたが、これまでいくつか野球スパイクも入手しましたが、そういえばカンガルー革製はなかったと思い、衝動買いしたのがこちらです。

野球スパイクについてはまったく詳しくないですが、確か、高級なモデルはソールも革製で、刃が交換できない使い切りタイプが多かったと思います。

また、一般プレーヤーのスパイクは黒一色が原則でしたが、70年代後半ぐらいからプロ選手はカラースパイクを使うようになり、それにもあこがれました。

なんとなく、このモデルに似たスパイクを履いていた球団を探すと、


ミスター三冠王がおられたロッテとかでしょうか。近鉄はラインが赤で、南海は緑だったような気がします。最近は落合さんまでもが、You Tubeチャンネルをお持ちです。

ただ、プロ野球選手のスパイクはラインがアシックスっぽいけど、よそのメーカー製のこともあるようです。さすが、用具も当時からプロ契約ですね。

このころのロッテのエースといえば、

マサカリ投法の村田投手。

私が野球を見始めた昭和49年は、中日が巨人のV10を阻止して優勝し、長嶋さんが引退した年でした。

特に中日ファンではありませんでしたが、当時愛知県に住んでいたので、地元球団が日本シリーズに出ることは、なんとなく誇らしい気分でした。

当然、V9(9年連続日本一、つまりずっとパリーグは日本シリーズで勝っていなかった)の巨人に勝った中日が優勝すると思っていたら、あっさり負けてしまいました。

当時9歳ですから、詳しいことは覚えていないのですが、村田投手(当時7年目)が抑えもするし、最終戦は完投して胴上げ投手になるしで、やたら活躍されたことはうっすら記憶にあります。

その後、名球会入りの大投手になられ、引退してからも始球式で剛速球を投げ込むすごい方でした。

こんな形でご紹介するとは思いもしませんでしたが、昭和の英雄のご冥福をお祈りいたします。

(2022年11月12日)