Size 27cm Made in Japan
英雄たちが愛した歴史的スパイクVOL.41「三浦知良選手がスフィーダを履いた日」 編
(コラムの元ネタです)
カズ選手の魂がこもったスフィーダのレプリカモデルのようです。
革も本物とは違うようですが、何といっても日の丸が入っています。
カズ選手といえばスフィーダですが、いつからスフィーダにされたのかは知りませんでした。
そこで、その頃の画像を探してみました。
カズ選手は90年にブラジルから帰国され、8月頃に読売クラブでプレーされ始めました。
その頃はパラメヒコを履いており、9月に行われた北京アジア大会で代表デビューし、その時もパラメヒコでした。
(90年9月28日)
その年の日本リーグもほぼパラメヒコを履かれていましたが、たまにマラドーナプロのような取替式もご使用でした。
(90年12月1日)
(91年2月23日)
この頃のパラメヒコの取替式版と言えばメキシコライトが主流でしたので、結構珍しいモデルではないかと思います。
その後、クラブでも代表でも活躍され、91年6月のキリンカップでは日本代表初優勝に貢献されます。その時はアシックスのユニフォームでしたので、パラメヒコを黒塗りしてお使いでした。
(91年6月9日)
7月末にも日本代表として日韓定期戦でプレーされたのですが、この時のスパイクはやはり黒塗りしているようですが、つま先部分はパラメヒコではなく、ベルトマイスターのようなモデルです。
(91年7月27日)
また、この頃にサッカー雑誌の広告にスフィーダが登場しました。
(日韓戦のスパイクではないかと思っているモデル(左)、デビューしたころのスフィーダの広告(サッカーマガジン91年8月号))
カズ選手はインタビューでベルトマイスターは足に合わなかったとおっしゃられていますが、この試合のスパイクは一部でまだ販売されていたベルトマイスターか、(私は見たことがない)ゴールドというモデルを試されたのではないかと個人的に推測しています。
その後、プロ化前最後の日本リーグのための夏季トレーニングでは再びパラメヒコを使われていましたが、
(91年7月29日から10日間のトレーニング時)
9月15日の開幕戦では、スフィーダらしきスパイクを履かれています。
(91年9月15日)
おそらくこの頃に、カズ選手は新たに発売された(もしくは専用に開発された)スフィーダのご使用を決められたのだと思います。
ただ、9月1日はJSLカップ決勝があり、その時のスパイクもスフィーダだったかもしれません。
(91年9月1日)
その後は、一貫してスフィーダを愛用し続けられました。
(91年9月22日)
そのカズ選手が未だ現役で活躍されていることはすごいというか、嬉しいというか、信じられないというか、言葉もありませんが、できるだけ長くプーマのスパイクでプレーし続けてほしいものです。
(2019年9月28日)