430 asics Special model

Size 27cm Made in Japan

前回は国見高校モデルでしたが、今回は東海大一高校モデル(その2)です。

東海大学や他の東海大学付属高校サッカー部の特注品の可能性もありますが、一応、東海大一の選手用との説明で出品されていました。

その1はこちらで、かなり使い込まれていましたが、今回は未使用品です。

ただ、ソールはその1と違って劣化してヒビだらけです。

アシックスのこのタイプの取替え式ソールは、80年代後半の特注品に多いようですが、軽量化のためか、かなり薄く作られているため劣化しやすい気がします。

さて、東海大一は選手権の65回(86年)大会で初出場・初優勝を飾り、翌年の66回大会は準優勝でした。

どちらも決勝で国見と対戦しました。

国見高校も65回大会が初出場で、その後も選手権の常連校になりましたが、東海大一の選手権出場は結局この2大会のみになってしまいました。

それほど当時のサッカー王国静岡の壁は厚かったわけですが、選手権に出場しないと、サッカー雑誌の写真がとても少ないため、このスパイクがいつごろ使われていたかを調べるのは困難です。

67回大会の静岡予選の画像

準決勝で清水東高に惜敗。県予選の準決勝でもサッカーダイジェストに載るのは静岡と東京ぐらいでした。

後の日本代表、田坂選手は黄色ラインのアシックスでした。下の仰向けの選手はこのモデルに似ているかも…。

68回大会 

この年も決勝で清水東のオーバーヘッドゴールに屈してしまいました。この年の田坂選手はコパムンを履いていました。10番の選手(こちらも後の日本代表、森島選手です)は東海大一モデルに見えます。

手持ちのサッカー雑誌の情報では埒が明かないので動画も頼ってみることに。
こちらは69回大会です。10番は1年生の伊東選手で、3年生の森島選手は後の象徴である8番になりました。

やはり何人かは東海大一モデルを履いていたようです。スローインの選手は太田選手。

さらに資料を求めて手に入れた雑誌がこちらです。

さすが静岡県ですね。

こちらの雑誌から年の順で、

たぶん、2年生の時(68回大会)の写真だと思います。


1年生の67回大会でしょうか。1年生から背番号10でした。この年はコパSLかな?


このモデルらしきスパイクを履いていた岩下選手(後にエスパルス等でご活躍)。


伊東選手もこのモデルらしきスパイクを履いていたようですが、高学年はアディダスだったようです。田坂選手、森島選手(3年生はたぶんコパムン)もそうでした。ユース代表などで支給されたモデルを使っていたのかもしれません。

(早速訂正ですが、3年次の森島選手はアディダスではなく、この年から以後、引退まで愛用されたモレリアを使い始めたかもしれません。)

それにしても、服部選手、白井選手、松原選手など28年ぶりの五輪出場に貢献した後の名選手らが多数いたのにもかかわらず、県予選を突破できなかったというのが、当時のサッカー王国静岡県のすごさをあたらめて感じます。

清水東には相馬選手や斉藤選手、現Jリーグチェアマンの野々村選手がおられました。
清商(三浦選手、藤田選手、名波選手、山田選手、望月選手)も強かったですしねえ。

どの選手もプロで充分活躍されたので、ほどなくしてJリーグができたことは本当によかったと思います。

結局、このモデルの詳細はわかりませんでしたが、90年代(平成)に入るとチームでスパイクを揃えるという文化がなくなっていった気がしますので、ある意味、昭和の遺物的なモデルだと思います。

(2023年1月24日)