Made in Japan
たぶんパラメヒコとしては23種類目でしょうか。
こちらのコラムで少し紹介したエスパルス時代の山本海人選手のパラメヒコです。
一見するとこちらのサインと似てる?と思いましたが「22」が同じだけですね。ボンバー中澤選手も背番号22の有名なパラメヒコユーザーでしたが、何か縁があるのでしょうか。
このモデルもプロ選手仕様だけあって、随所に市販品とは異なる部分があります。
つま先のステッチパターンが独特ですが、何といっても、
固定式なのにスタッドがノーマルに比べてかなり高いです。こんなオーダーもできたんですね。
ただ、実戦ではやはり取替え式を使われていたようで、
2008年ごろはレセルバでしょうか?
パラメヒコにされたのは2011年ごろだったようです。
やはり取替え式ですが、ステッチは山本選手オリジナルパターンなのがわかります。ただ、このモデルよりステッチが1本少ないかな?
今回はこのブログでは珍しく、カズさん以外では初の現役選手のモデルのような気がします。
山本選手は現在福島ユナイテッドでご活躍です。
今もプーマユーザーです。今年もご活躍を期待しております。
さて、ここからまたディエゴ様ネタですいません。
パラメヒコでまた新しい発見(間違い)に気づきました。
こちらの投稿で書いたディエゴ様のパラメヒコ使用歴ですが、まだありました。
公式戦ではありませんが、92年の親善(追悼)試合です。こちらはラインも黒塗りされていない状態でお使いでした。
ナポリを退団したゴタゴタした期間ではありますが、試合の内容はこちらに記されています。
かかと部分もパラメヒコですね。
この試合は国立競技場でも活躍したJuan Gilberto Funes選手の追悼試合だったそうです。
富越さんが撮影された86年のトヨタカップの画像です。その年のW杯覇者たちがたくさんいたチームの屈強なFWだったフネス選手ですが、28歳で急逝されました。
その慈善試合の資金を募るために、FIFAからの出場停止があったにもかかわらずディエゴ様は強行出場されたとか。
その時の映像を拝見すると、親善試合なのでマークは甘いですが、自由にプレーさせたらすごいですね。
この試合のゴールは見たことがありましたが、パラメヒコで決めていたとは。
まだまだ知らないことがたくさんあります。
(2024年2月10日)