
英雄たちも蹴った名品サッカーボール 「手縫い本革製・ピーコック 編」
サッカーマイナー世代の人間にとって、昨今のサッカーのレベルの向上はもちろんのこと、環境の劇的な変化は驚くばかりです。
道具フェチの私にとって、巻頭画像のように緑のグランドにきれいなボールがゴロゴロ転がっているのは、昔とはかけはなれた光景でとても憧れます。
ふだん、スパイクにしか興味のない私ですが、ボールがないとサッカーはできませんし、ボールにも多少興味はあります。 ただ、ユニフォーム同様、ボールも個人が用意するものではないので、昔も今も自分でボールを買ったことはほとんどありませんでした。
サッカーボール自体もずいぶん昔とは変わったなあと思い、今回は少しだけ昔のサッカーボールに関することを書きたいと思います。
昭和の時代にサッカーをしていた者にとって、巻頭のような画像を見ると、率直に「スゴイなあ、時代が変わったなあ」と思います。 今の強豪高校、ましてや大学やプロチームであれば、至極当然の光景なのかもしれません。
図1と図2は奇しくも同じ高校(愛知・中京(現・中京大中京)高校)のサッカー部の今昔です。伊藤翔選手、宮市亮選手の母校として有名です。
図3は当時大阪の強豪校だった高槻南高校(2005年閉校)のサッカー部の練習風景です。卒業生にはレッズなどで活躍された杉山弘一選手がおられます。
80年代前半の日本でのサッカーボールは白の六角形と黒の五角形の革が縫い合わされた昔ながらのモデルが主流でした。
しかし、このタイプは70年にアディダスがテレビでも見やすいように開発した「テルスター」が元祖で、78年から世界では新しいデザインの「タンゴ」が主流になっていました(図4)。
80年代前半にサッカーに夢中になった私は西ドイツ製の高級スパイクに憧れ、もし買えても履いて練習などできないと思っていましたが、アディダスのタンゴも、もし買えても絶対蹴れないし、椅子がわりに座ったらバチが当たると思っていました。
それほど、当時の純正タンゴは高価で、実際には見たことも触ったこともありませんでした(図5)。ですから、図4のような光景を見ると当時はかなりびっくりしました。
当時のボールはビンテージ品として現在も人気が高く、コレクターも世界中にいるようで、当時のタンゴなどアディダス製のボールは驚くほど高額で取引されているようです。また、歴代W杯や主要国際大会での公式試合球はそもそもの定価も高額です。
ただ、昨今のいわゆる「パッチもん」の質はかなり高く、海外サイトなどでは当時物そっくりのものが売られているようでした。 また、本家アディダスも復刻版やレプリカモデルを発売しているようで、ボールは作りがシンプルなので、スパイクの復刻版よりも本物に忠実です。 私はオリジナルのボールにこだわりはないので、何個か当時憧れたモデルを入手してみました(図6)
何十万円とするオリジナルのビンテージボールを外で蹴ろうとは思わないですし、それこそ空気がちゃんと入るかもわかりません。それに比べて「パッチもん」は、それで試合をしようとは思いませんが、当時の憧れを思い出しながらリフティングするぐらいにはちょうどいいアイテムだと思います。
さて、ここからは今回の主題ですが、多くの昭和のサッカー選手がお世話になったボールといえば、日本製の本革手縫いボールです。 その中でも前田運動具製作所の「ピーコック」(図7)はおそらく圧倒的シェアを誇っていたと思います。
最近のように、ボールがピッチから出たら、代わりのボールを次々渡すシステムではなかった昭和の時代の試合では、各チームが1個ずつ空気をパンパンに入れたボールを審判に渡して、どちらかをずっと使い続ける方式だったと思います。
審判は開始前に空気の入り具合をチェックし、(たぶん)固い方を採用し、試合中にとんでもない所に蹴り出して、拾ってくるのに時間がかかりそうな場合のみ仕方なく代わりのボールを使う感じでした。
基本的に毎試合ごと新品のボールを使うのが理想でしたが、部費の関係で毎年購入できるボールの数は限られているため、私のような弱小チームの選手の場合、新品のボールと触れ合えることは極めてマレだったと思います。
というわけで、時々試合の時におろされる新品のボールは憧れだったわけです。
私が所属していたサッカー部は高校も大学もピーコックを購入していました。それ以外にも国産の本革製縫いボールはありましたが(図5)、なぜかピーコックが多かったと思います。
品質がよく、寿命が長かったのかもしれませんが、比べたことがないですし、昭和の本革製のボールは、空気を入れてもまん丸にならず、結構いびつなこともありましたので、空気を途中まで入れて形を整えるために揉まされたこともありました。
ただ、ピーコックは我々のような一般サッカー部のみならず、日本での重要な試合でも長らく使用されました(図8、9)。
80年代の日本のサッカーシーンには欠かせない存在のピーコックサッカーボールでしたが、図8の天皇杯以降は世界の潮流に合わすべく、W杯で使われるタンゴ(当時はイタリアW杯モデル)が国内の主要な試合でも徐々に使用されるようになったようです。
W杯も82年大会までのタンゴは本革製でしたが、86年大会からは人工皮革のボールになり、本革製のボールはしだいに使われなくなりました。 図7のようにピーコックも人工皮革製のボールを生産し始めましたが、90年代になってだんだん見ることがなくなったようです。
製造元の前田運動製作所はボールの本革にかなりこだわりを持って開発していたようで(そのころのエピソードがこちらに記されています)、他社との差別化が難しくなったのかもしれません。
我々の年代の憧れのサッカーボール「ピーコック」は最近のネットオークションでもごくまれに出品されることはあるようですが、入手は極めて難しそうで、もう一度蹴ってみたいという願望も諦めていました。
ただ、図6のボールを入手した時に、とある「パッチもん」屋さんに「ピーコック」のレプリカ作製を打診してみたところ、本当に作ってくれました(図10)。
そういえば、表面に1965年の発足時から日本サッカーリーグで使用されているボールであることが記されています。1965年は私が生まれた年なので、他のボールよりシンパシーを感じるのかもしれません。
本当は図1ぐらいたくさん転がしてみたいものですが、昭和時代でも新品のピーコックを4つ並べるという光景は見たことがなかったです。 「パッチもん」屋さんは現在このモデルをこちらで販売していますので、気になる方はチェックしてみてください。
新しくてきれいな丸いボールを見ていると、懐かしさとともに平和な気分になりますが、丸くて、美しいはずの地球は殺伐としています。 平和に暮らしたい多くの人々が住んでいる地球を、ミサイルで痛めつけるのは本当にやめてほしいです。
(写真はヤンサカ、サッカーマガジン、アフロ及びゲッティイメージズなどから転載させていただきました)
PEACOCKがしっかり見える素晴らしい富越先生の画像です。
